明智光秀公が戦禍から守った地区の紹介です。

  ※東大味(ひがしおおみ)地区では、明智光秀・柴田勝家・柴田勝定の三人に、かつての恩義を忘れず、「公」の敬称をつけて敬愛しています。 

明智神社

明智神社
明智神社

光秀公がかつて家族と親しく過ごし、浪人となったとき快く迎え入れてくれた地区民を守るため、柴田勝家公や勝定公に安堵状を出させることによって戦渦にならずにすみました。

 

その安堵状の恩義を忘れず、以来400年間にわたり、光秀公屋敷跡に住居のある3軒の農家が高さ13cm程の木彫りの光秀公坐像を、大切に守り続けてきました。

 

明治19年(1886)になり、ようやく光秀公屋敷跡に小さな祠を建てて、明智神社としてお祀りしました。

西蓮寺

西蓮寺
西蓮寺

西蓮寺(天台宗)には、当地区住民を救った柴田勝家公と勝定公の2通の安堵状が残されており、いずれも福井市の文化財に指定されています。

 

御内陣には勝家公の御木像が安置されています。

煕子と細川ガラシャ

細川ガラシャ  石標
細川ガラシャ 石標

光秀公は生涯側室を持たず正室煕子(ひろこ)のみを愛したそうです。

それが一因してか最近は、光秀公の歴史的評価や人物評価が高くなっていることもあり、明智神社は”「もて気」が充満している”との評判が広まっています。

また、正室煕子との三女玉(後の細川ガラシャ)は、永禄6年(1563)この地で生まれたと伝えられています。

 


東大味町の旧跡


朝倉街道(大手道)

朝倉街道 入り口
朝倉街道 入り口

一乗谷朝倉氏が栄華を誇っていた時代、都から一乗谷に向う街道(朝倉街道)が整備されていました。

 

古書には「此頃の大手なる由」と書かれ、東大味の初坂(はっさか、はっつぁか)から入る道は大手道として、一乗谷城下町に向う正面(表)の道となっていました。

 

東大味の朝倉街道には、初坂まで登る途中に石畳の部分が一部残されています。

八幡神社

八幡神社 鳥居
八幡神社 鳥居

東大味の八幡神社は、養老元年(717)泰澄大師開基といわれる八幡神社と、霊亀2年(716)創立といわれる気比神社の二社が、垣内の氏神である白山神社も含めて明治43年(1910)9月に合祀された神社です。

 

八幡神社には、福井市指定文化財「木造りの阿弥陀如来坐像」があります。木像は、室町初期の作といわれ、像高4尺7寸余もある寄木作りの坐像で、坐像としては稀な大像です。

ため池

灌漑用ため池
灌漑用ため池

東大味の東方・初坂の麓に、縦三十六間(65m)・横三十四間(62m)の方形をした摺鉢底状の灌漑用ため池があります。

 

これは、東大味が山谷の浅い扇状地にあるため、古来より農家の命ともいうべき水の取水争いは絶えなかったことを思い、元禄3年(1690)当時の用水奉行 戸田弥次兵衛により構築されたものです。