3月より毎週土曜日に開所していました観光案内所は、令和6年10月26日(土)にて今年の開所を終了させていただきました。
来年の開所予定は、令和7年3月です。
なお、観光案内所は開いていませんが、明智神社へはいつでもお越しいただけます。
※東大味(ひがしおおみ)地区では、明智光秀・柴田勝家・柴田勝定の三人に、かつての恩義を忘れず、「公」の敬称をつけて敬愛しています。
光秀公がかつて家族と親しく過ごし、浪人となったとき快く迎え入れてくれた地区民を守るため、柴田勝家公や勝定公に安堵状を出させることによって戦渦にならずにすみました。
その安堵状の恩義を忘れず、以来400年間にわたり、光秀公屋敷跡に住居のある3軒の農家が高さ13cm程の木彫りの光秀公坐像を、大切に守り続けてきました。
明治19年(1886)になり、ようやく光秀公屋敷跡に小さな祠を建てて、明智神社としてお祀りしました。
光秀公は生涯側室を持たず正室煕子(ひろこ)のみを愛したそうです。
それが一因してか最近は、光秀公の歴史的評価や人物評価が高くなっていることもあり、明智神社は”「もて気」が充満している”との評判が広まっています。
また、正室煕子との三女玉(後の細川ガラシャ)は、永禄6年(1563)この地で生まれたと伝えられています。
一乗谷朝倉氏が栄華を誇っていた時代、都から一乗谷に向う街道(朝倉街道)が整備されていました。
古書には「此頃の大手なる由」と書かれ、東大味の初坂(はっさか、はっつぁか)から入る道は大手道として、一乗谷城下町に向う正面(表)の道となっていました。
東大味の朝倉街道には、初坂まで登る途中に石畳の部分が一部残されています。
東大味の八幡神社は、養老元年(717)泰澄大師開基といわれる八幡神社と、霊亀2年(716)創立といわれる気比神社の二社が、垣内の氏神である白山神社も含めて明治43年(1910)9月に合祀された神社です。
八幡神社には、福井市指定文化財「木造りの阿弥陀如来坐像」があります。木像は、室町初期の作といわれ、像高4尺7寸余もある寄木作りの坐像で、坐像としては稀な大像です。
大正10年(1921)に建立された明治天皇・昭憲皇太后御真影奉安所です。
八幡神社の西側にあります。
東大味では、いつの頃からか「明治神宮」と呼ぶようになっています。
東大味の東方・初坂の麓に、縦三十六間(65m)・横三十四間(62m)の方形をした摺鉢底状の灌漑用ため池があります。
これは、東大味が山谷の浅い扇状地にあるため、古来より農家の命ともいうべき水の取水争いは絶えなかったことを思い、元禄3年(1690)当時の用水奉行 戸田弥次兵衛により構築されたものです。
福井市明智神社奉賛会
〒919-0312
福井県福井市東大味町
E-mail: 9190312@gmail.com
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※皆様の温かいご理解・御協力により、大切にお守りさせていただいています。
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