東大味の八幡神社は、養老元年(717)泰澄大師開基といわれる八幡神社と、霊亀2年(716)創立といわれる気比神社の二社が、垣内の氏神である白山神社も含めて明治43年(1910)9月に合祀された神社です。
祭神は「応神天皇」とその父親といわれる「足仲彦尊(たらしなかつひこのすめらみこと)」、御神体は阿弥陀如来です。
大正2年(1913)10月建立の社標には、八幡神社の由緒と経過の記載があります。
光秀公や一乗谷朝倉家についても記載されています。
「養老元年泰澄大師ノ創立文明年間一乗朝倉家代々崇敬有之
加之同家重臣一萬七千石ヲ領セシ中島但馬守及明智光秀 今井新兵衛等當村居住
砌源系統ニ付氏神ノ故ヲ以テ信仰厚ク種々寄附物在リ
旦右三家屋敷跡ハ其形状石垣類ヲ存在ス
明治四三年九月七日無格社気比神社ヘ合併
明治四三年九月七日社号改称ス
明治四四年五月拝殿新築、竣工ス」
なお、「足仲彦尊」はもともと気比神社に祀られていました。
八幡神社には、福井市指定文化財「木造りの阿弥陀如来坐像」があります。木像は、室町初期の作といわれ、像高4尺7寸余もある寄木作りの坐像で、坐像としては稀な大像です。
平成26年(2014)に保存修理、彩色が完了し今の形となりました。
唯一現存しているといわれる永禄年間に作成された越前狛犬(笏谷石使用)があります。
永禄9年(1563)3月1日の銘文があり、ちょうど光秀公が東大味にいたとされる時代と符合することも縁を感じます。
本殿の左右にはさらに古い年代の石製狛犬もあり、必見です。
大正10年(1921)7月に建立された明治天皇・昭憲皇太后御真影奉安所です。
八幡神社の西側にあります。
明治天皇が崩御されたあと、東京で明治神宮の建立が始まり、大正9年(1920)11月に全国の青年団を中心とした国民の労力奉仕で完成しました。
東大味の軍青団(青年奉仕)も一団となって馳せ参じました。
このときの働きぶりが認められ、大正10年(1921)に明治天皇と昭憲皇太后の御真影を奉ずることを許されることとなり奉安所を建立しました。
東大味ではいつの頃からか「明治神宮」と呼ぶようになりました。
その後、老朽化に伴い平成25年(2013)に立て替えられ現在に至っています(写真上段)。
東大味では、神主様のお祓いのあと、餅まきをして厄祓いをします。
働き盛りの男性数え年42歳を中心に、25歳と還暦61歳、女性19歳と33歳が対象です。
餅に厄がのっているとの言い伝えがあり、厄年の家族はその年は餅を拾いません。
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