NHK大河ドラマ『麒麟がくる』が2月7日放送 本能寺の変(天正10年(1582)6月2日)のシーンで 最終回とのこと。
この大河ドラマは、信長という人物像を作り上げた光秀自身が、信長を消し去っていくストーリーだった気がします。
その後光秀公は6月13日の山崎の戦いで最期を迎えます。
当地区のあけっつぁま伝承は、光秀公が最期を迎えてから始まります。
2月5日福井新聞 越山若水にこの伝承が伝わり続けてきたことの重みを表現していただきました。
長く伝承を続けていることに誇りを感じました。
【越山若水】
戦国武将明智光秀を主役とした大河ドラマが終了するが、ゆかりの地は光秀ブームにわいた。顕彰活動が盛んになり、謎が多い光秀の研究が深まった
▼中には、光秀の伝承に注目したユニークな論考もある。近畿大講師の新谷和之さんは、福井市東大味町の伝承が生まれた背景を考察し、同大民俗学研究所発行の「民俗文化」第32号で発表した
▼東大味は朝倉氏の拠点一乗谷に近く、光秀の館跡があったと伝わる。3軒の農家が光秀の小さな木像を守り法要を続け、明治になって館跡に明智神社が建立された。ただ、館は17世紀後半、中嶋但馬守の屋敷跡として地誌に登場。光秀に関する記載は18世紀前半の地誌が初で、光秀ら3人の屋敷跡とされている
▼新谷さんは集落にある西蓮寺に着目した。木像を守り伝えた3家は同寺の檀家(だんか)で、かつては同寺が法要を担っていた。西蓮寺は光秀ゆかりの寺院、西教寺(滋賀県)の末寺。江戸時代に本堂を再建しようとした西教寺が、光秀を復興の象徴とし、協力するため西蓮寺も光秀を祭ることを考え、既に知られていた屋敷跡を光秀と関連づけたのではと推測した
▼東大味には織田信長による越前攻めの際、光秀がかつて暮らした村を戦禍から守ったとの伝承もある。実際に住んでいたのかは分からないが、住民が長い間光秀を敬慕し続けてきた事実は重い。光秀伝承を大切にしたい。
出典:福井新聞 2021年(令和3年)2月5日 越山若水