· 

越前国における明智光秀伝承の創出

東大味館復元図
東大味館復元図

先月2月5日に福井新聞 越山若水にて紹介された近畿大学新谷講師の論考(全文)を拝読させていただきました。

以下(↓)は抜粋です。

-------------------------------------------------

「実際に東大味では、一七世紀後半の地誌には光秀の由緒はみえない。光秀の屋敷が記載されるのは享保五年(一七二〇)の「越前国古城跡并館屋敷蹟」以降である。この間に光秀の由緒が注目されるようになる契機として、本稿では享保三年以降の西教寺本堂再建の動きに着目した。再建を主導した真際は、光秀を西教寺復興の象徴として位置づけ、諸国の末寺を通じて再建への助力を求めた。その際、末寺である西蓮寺はこうした光秀の位置づけを踏まえて、既に知られていた小字「土居之内」の屋敷跡に光秀の由緒を求め、檀家を巻き込んで光秀の祭祀を始めたのではないかと考えられる。「土居之内」では、かつて西蓮寺の檀家である三家が光秀の木像を交替で祀り、木像を安置する祠を建ててからも法要での読経は西蓮寺の僧がつとめた。このことは、光秀の祭祀が西蓮寺の宗教的活動の一環であったことを物語っている。

右の想定が成り立つならば、越前国での光秀の伝承は、他国との交流のなかで創出された可能性が浮上する。...」

(出典:近畿大学民俗学研究所「民俗文化」第32号)